大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)9035号 判決

原告

鍋谷清剛

鍋谷恵美子

右両名訴訟代理人弁護士

空野佳弘

被告

株式会社ちびっこ園

右代表者代表取締役

前川政光

右訴訟代理人弁護士

中垣一二三

針間禎男

綿島浩一

藤本裕司

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  申立

一  原告ら

1  被告は原告らそれぞれに対し金八〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年七月二五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの地位

鍋谷昌子(以下、昌子という)は、原告鍋谷清剛、同鍋谷恵美子の長女として、昭和六〇年三月一九日出生したが、同年七月二四日死亡し、原告らが相続した。

2  被告の地位

被告は、託児所の経営、美容機器の販売を業とし、大阪市淀川区東三国三丁目一〇番三号において無認可保育所ちびっこ園(以下、被告園という)他六園を経営していた。

3  保育委託契約の締結

原告らは昌子が公立保育所に入所できる月齢に達するまでの間暫定的に被告園に預けることにし、同年五月一三日被告と、同児を被告園に委託時間午前七時三〇分から午後六時、委託料月額三万二五〇〇円との約定で預ける旨の保育委託契約(以下、本件契約という)を締結した。

4  昌子の死亡に至る経緯

(一) 原告らは同年七月二三日午前八時昌子を被告園に預け、同園の乳児担当保母松尾多恵子(以下、松尾という)は、同日午前九時五〇分頃から乳児室において同児に対し仰向けで寝かせたまま、ミルク一八〇CCを哺乳びんを毛布の上において飲ませ、同児がミルクを飲み干すのを確認した後、他の乳児の離乳食を作るため、部屋を離れた。松尾は、同一一時二〇分頃再び乳児室に戻り、昌子のすぐ横のベッドにいる乳児に離乳食を食べさせているうち、数分後ベッドの布団にうつぶせになっていた昌子の顔辺りにミルクがたまっているのを発見し、急いで同児を抱きあげたところ、ミルクが鼻や口からあふれだし、顔色も紫色であったため、慌てて他の保母の応援を頼み、人口呼吸、心臓マッサージを施したが、昌子の容態は回復せず、同一一時三二分救急車の派遣を要請した。

(二) 救急車は同一一時四〇分被告園に到着したが、昌子は呼吸停止、疼痛反応欠如、瞳孔散大、全身白ろう色の状態を呈していた。救急隊員は、同児を搬送中、電動式吸引器で同児の気管からミルクを吸引するなどの救護処置を施しつつ、同一一時四五分同児を淀川キリスト教病院に搬入した。

(三) 医師は昌子の心瞳停止を確認し、ただちに同児の気管にチューブを挿入してミルク一五CC以上を吸引し、他の蘇生処置を施した結果、四分後同児の心臓は回復したが、脳の機能は停止したまま回復せず、脳死の状態であり、昌子は翌七月二四日午前四時三〇分頃死亡した。

5  昌子の死因と被告の責任

(一)(1) 昌子の死因は吐乳誤嚥による窒息死である。昌子のような乳児にミルクを飲ませた後は吐乳を防ぐため「ゲップ」をさせ、又嘔吐などの異常がないか絶えずその動向を把握し、異常を発見したときは直ちに適切な処置を講じなければならない。ところが、松尾は昌子にミルクを飲ませた後「ゲップ」をさせず、又長時間乳児室を離れ、同児を放置したため、同児が大量のミルクを吐いたことの、発見が遅れ、有効な回復措置がとれず同児の死を招いた。

(2) 仮に昌子の死因は、吐乳の誤嚥による窒息ではなく、乳幼児突然死症候群(以下、SIDSという)であり、同児の体質によるものであったとしても、同児の異常を初期に発見し、適切な処置を講じれば、救命の可能性は十分にあったのである。ところが、松尾は右のように昌子を長時間放置したため、同児の異常の発見が遅れ、救命処置の効果もなく、同児を死亡させた。

(3) 従って、昌子の被告の従業員である松尾の過失によって死亡したというべきであるから、被告は民法七一五条一項により原告らが被った後記損害を賠償する義務がある。

(二) 被告は、本件契約に基づく昌子保育の間、同児の健康及び安全に十分配慮すべき義務がある。しかるに、被告園の保母数は大阪市の公立保育所の基準を大幅に下回る劣悪な状態(ゼロ歳児七ないし一〇名に一名、一、二歳児約三〇名に二名、三歳児以上の児童一五名に一名)であるうえに、臨時に乳幼児を預かったり、保母に宅配急便取扱業務や物品販売を行わしめ、更に被告園の日常事務の全てを担当させるなどしたため、保母は保育に専念できず、かつ、過重労働を強いられていた。加えて、被告園にはこれら保母を監督すべき職員もいなかった。被告に被告園の運営及び管理に右義務違反があったことは明らかであり、これが昌子の死を招いたというべきであるから、被告は債務不履行に基づき原告らの後記損害を賠償する義務がある。

6  損害

(一) 昌子の逸失利益

(1) 昌子は、死亡当時生後四か月の女子であって、将来一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であり、その間少なくとも同五九年度賃金センサス産業規模計、高卒女子初任給年額一五二万五〇〇〇円の収入(但し、生活費五〇パーセントを控除)を得ることができたから、同児の逸失利益現価をホフマン式計算法により算出すれば一八八三万五〇〇〇円となる。

(2) 原告らはそれぞれ右損害の二分の一(九七一万七五〇〇円)を相続した。

(二) 葬式費用 原告らは昌子の葬式費として六〇万円を支払った。

(三) 原告らの慰謝料 原告らは昌子を失い精神的損害は計り難く慰謝料は各三〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用 各五〇万円

7  よって、原告らはそれぞれ被告に対し、右損害金合計一三二一万円のうち八〇〇万円及びこれに対する昌子死亡の翌日である同六〇年七月二五日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2は認める。

2  同3のうち、被告が原告らと本件契約を締結したことは認めるが、その余は知らない。

3  同4のうち、昌子が同年七月二三日本件契約に基づいて被告園に預けられ、松尾が、同日午前九時五〇分頃から、昌子にミルク一八〇CCを飲ませ、その際ゲップをさせず、同一〇時四五分頃他の乳児の離乳食を作るため、乳児室を離れたこと、再び乳児室に戻った約五分後昌子の顔辺りの布団の上にミルクがたまっていたのを発見したこと、同一一時三二分救急車の手配をしたことは認めるが、その余は知らない。松尾が再び乳児室に戻ってきたのは同一一時一五分頃である。

4  同5は否認する。同6は知らない。

5  昌子は、吐乳誤嚥によって窒息死したのではなく、淀川キリスト教病院の死亡診断に明らかなとおりSIDSによって死亡したのであるから、被告に何らの責任はない。

(一) 生後四ケ月の乳児でも健康体であればミルクが気管に詰まると咳き込んだり、手足をばたつかせたり、防禦機能が働いてたやすく窒息死することはない。

(二) 昌子は人工栄養で育てられ、又同年六月頃から感冒性下痢、ぜん息性気管支炎、顔面急性湿疹のため、健康状態は悪く、SIDSの発生しやすい状態にあったこと、SIDSの進行過程中吐乳及び吸引を生じる例もあり、松尾が昌子の異常を発見した前後の状態及びその後の死亡に至る経過によると昌子の死はSIDSによるものと考えられる。

(三) 保母らは当日原告恵美子から昌子が感冒性下痢であると聞かされていたので、同児を目の届きやすい乳児室入り口付近のベッドに寝かせていた。松尾が昌子に授乳し、いったん乳児室を離れた後同日午前一一時一五分頃戻ってきた時、同児はベッドの端でうつぶせになって寝ていたが、その時ミルクを吐いていなかったし、手足をばたつかせることもなかった。松尾はその後、同児の横のベッドの乳児に離乳食を喰べさせ始め、約五分経過して同児の異常に気がつき、直ちに救命処置を開始した。松尾が乳児室を離れた際、乳児室に隣接したプレイルームには保母赤井、同前泊らがおり、昌子は乳児室の入り口のベッドに寝ていたうえ、両室を仕切る間仕切りは低く、窓にはガラスが入っていないのであるから、同児に異常な挙動があれば直ちに発見し得る状況であったが、同児に異常な挙動はなかった。このように、松尾に昌子に対する安全配慮に欠けるところはなく、そもそも昌子の死は、SIDSによるものであり、松尾において昌子がSIDSにかかっていることを予見することはできなかったのであるから、松尾がいかなる過失をも問われる余地はなく、従って、被告にも何ら責任はない。

(四) SIDSの経過中の吐乳によって患者に異常が生じても、終末呼吸、心停止の生じる以前に適切な救命処置を講じると救命の可能性はあるとされる。しかし、前記のとおり、松尾が昌子の異常を発見したのは吐乳直後であると考えられ、直ちに救命処置を講じた結果同児は蘇生しているのであるから、同児の異常の発見が早かったとしても同児を救命し得たか疑問である。

SIDSでも救命された症例は、家族や医師に乳児が睡眠中無呼吸症状を起こすことが了知され、医師による十分な看護態勢が取られていた場合であり、その他の症例はニアミスSIDSといわれるもので、その全てがSIDSであるかは不明である。従って、松尾ら被告園の保母にかような場合を想定して昌子を看護する義務はない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、2及び3のうち本件契約の締結は当事者間に争いはない。

二請求原因4のうち、昌子が昭和六〇年七月二三日本件契約に基づいて被告園に預けられ、松尾が、同日午前九時五〇分頃から、乳児室において昌子にミルク一八〇CCを飲ませたが、「ゲップ」をさせなかったこと、松尾は同一〇時四五分頃他の乳児の離乳食を作るため乳児室を離れ、再び乳児室に戻った(時間は除く)約五分後昌子の顔辺りの布団の上にミルクがたまっていることを発見したこと、被告園は同一一時三二分救急車の手配をしたことは当事者間に争いがない。

右事実、〈証拠〉を総合すれば次の事実が認められる。

1  昌子は同六〇年三月一九日体重三一六〇グラム、身長四九センチメートル、胸囲三五センチメートルの平均児として出生した。昌子は人工授乳で成育し、同年六月頃から感冒性下痢症、ぜん息性気管支炎、頸部皮膚カンジダ症、顔面急性湿疹症に罹患したこともあるが、発育は正常であった。

2  昌子は同年七月一九日体調を崩し、翌二〇日感冒性下痢との診断を受けた。保母赤井は同月二三日午前八時昌子を預かった際、原告恵美子から右説明を受けたので、同児は元気そうであったが、とりあえず乳児室の入り口に最も近いクーラーの冷気の当たらないベッドに寝かし、同九時頃出勤してきた松尾に同児の状態を伝えた。松尾は、同九時三〇分頃昌子のオムツを替え、同児の機嫌も良かったのでそのまま寝かせ、他の乳児の世話をした後、同五〇分頃から同児を仰けに寝かしたままで、頭の横に毛布を畳み、その上にミルク二〇〇CCを入れた哺乳瓶を置いて、同児が一人で一八〇CCを飲み、残り二〇CCは松尾が手を添えて飲ませたが、同児はうとうとしているし、最近寝返りもできるようになっていたから「ゲップ」をさせずにそのまま仰向けに寝かせ、他の乳児を遊ばせたりしていたが、離乳食を作るため、同一〇時四五分頃乳児室を離れた。

3  松尾が、同一一時一五分頃再び乳児室に戻り、昌子が寝返りをしてうつぶせに寝ているのを見たが格別の異常を認めず、隣りのベッドの乳児に離乳食を喰べさせていたところ、五分ないし一〇分経過した後うつぶせに寝ている昌子の顔辺りにミルクが直径一〇センチメートルの大きさで溜まり、顔がそこに埋もれるようになっているのを発見し、急いで同児を抱き上げたところ、ミルクが鼻や口からさらさらと流れ出し、顔色も紫色でチアノーゼを呈し、手足も冷たく、呼吸、心音も確認できない容態であったため、急拠他の保母の応援を頼み、人口呼吸、心臓マッサージを施したが、同児の顔色が多少戻った程度で容態は変らず、赤井が同一一時三二分電話で救急車の派遣を要請した。

4  救急車は同一一時四〇分被告園に到着したが、昌子は既に呼吸停止、疼痛反応欠如、瞳孔散大、全身白ろう色の状態を呈していた。救急隊員は直ちに同児を病院に搬送し、途中車中において、電動式吸引器で昌子の気管からミルクを吸引するなどの救護処置を施しつつ、同一一時四五分昌子を淀川キリスト教病院に搬入した。

5  淀川キリスト教病院の医師多木秀雄は昌子の心臓停止、呼吸停止、瞳孔散大を確認し、直ちに気道確保のため、同児の気管にチューブを挿入して酸素を送り込み、その際気管からミルク様の白色の凝固塊の見られない液体一五CC以上を吸引し(誤嚥性肺炎を惹起していた)、心臓の蘇生処置を施した結果、同一一時五七分昌子の心臓は活動を始めたが、瞳孔は散大し、脳波反応はなく、脳死の状態であった。多木医師は引続き昌子に対し種々な救護回復措置を講じたが、昌子は回復することもなく、翌二四日午前四時二分頃死亡した。

多木医師は昌子の死因をSIDSと診断した(昌子は解剖に付されなかった)。

右事実が認められる。

原告らは、昌子が吐乳、誤嚥したのは松尾が乳児室に戻ってきた午前一一時一五分頃であり、松尾が同児の異常を発見したのは吐乳後一一時三〇分頃であり、その間同児は放置されていたと主張する。

しかし、前記各証拠によっても昌子が吐乳した時刻を特定することはできず、証人松尾の証言によれば、松尾が昌子の異常を発見した時同児の吐いたミルクは布団に貯溜し染み込んでいなかったのであるから、昌子が吐乳し、松尾が発見するまでに一五分を経過していたと認めることは困難である。

以上の認定及び説示を覆すに足りる証拠はない。

三原告らは、昌子の死因は吐乳誤嚥による窒息死であると主張する。

昌子が布団の上に吐乳していたこと、松尾が昌子を抱き起こした際、鼻、口から多量のミルクが流れ出、救命処置の際にもミルクが流れ出たこと、救急隊員が電動吸引機で口からミルクを吸引したこと、多木医師は昌子の気管からミルク一五CCを吸引し、昌子は誤嚥性肺炎を惹き起していたことは前認定のとおりであり、昌子が吐乳誤嚥していたことは疑ない。

しかし、〈証拠〉によれば、昌子の吐乳物には窒息の際通常見られる泡沫状の吐射物が認められないこと、昌子のような乳児が気管に一五CC程度のミルクを吸引すると、気管及び気管支は閉塞し、窒息を招くか、他方防禦機能が働き、激しい呼吸運動によってミルクは気管から排除されるため(最大量四〇ミリリットル)、窒息死することはないこと、昌子は感冒性下痢症により消化器系の機能は低下していたが、誤嚥の防禦機能に影響があったとはいえないこと、SIDSは生後一年前後または未満の乳幼児が外見上原因不明のまま急死する内因性急死をいい、多くは睡眠中突然呼吸が停止し死に至るが、ときには死亡に至らないニアミスもあり、いまだ病理、原因は解明されず、確立された治療方法もないため救命は非常に困難であること、欧米においてSIDSの発生頻度は出生児三〇〇ないし七〇〇人に一人、乳児死亡の一〇ないし二〇パーセントをしめるとされ、我国においては同四七年発生頻度は乳児一万人に五、六人との報告があるが、SIDSの判定基準は統一されていないこと、SIDSによる死に至る経過の中で呼吸停止による吐乳、最終呼吸による誤嚥、吸引が惹起されるとの見解が有力になりつつあること、吐乳誤嚥による窒息死か、SIDSによる死亡かの判定は解剖検査によらなければ適正を期し難いことが認められこれらの事実を総合すると、昌子が吐乳誤嚥により窒息死したと断ずることはできず、原告らの右主張は採用できない。従って、原告らの右主張を前提とする請求はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

四原告らは、昌子の死因がSIDSによるものであったとしても、発作後早期に適切な救命処置がとられたならば、救命の可能性は十分あったのに、松尾は昌子の異常を看過し長時間放置したため、同児は死亡したと主張する。

たしかに前記は〈証拠〉によれば、SIDSによる無呼吸状態の発現直後直ちに適切な治療を行えば救命可能な場合のあることは否定できないが、しかし、前記のとおりSIDSの病理、原因はいまだ明らかではなく、救命された症例の中にはニアミスSIDSも含まれていること、外部から無呼吸状態を識別することは難しく、吐乳によって異常を発見しても手遅れの場合もあることも窺えるのであり、他方、前記のとおり、松尾は昌子が吐乳した後比較的短時間内にこれを発見し、その間同児が泣いたり、手足をばたつかせるなどの異常もなかったこと、松尾はもとより昌子のSIDSを予見することは不可能であったことなどに徴すると、松尾が昌子のSIDSの発症を早期に発見しえなかったからといって松尾に何らかの義務違反や過失があると認めることはできない。従って、原告らのこの点に関する主張を採用することはできないから、右主張を前提とする原告らの請求もその余の点について判断するまでもなく失当である。

五よって、原告らの本訴請求は理由がないから棄却することとし、民訴法八九条、九三条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官蒲原範明 裁判官河村潤治 裁判官山口芳子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例